サマリー
危険運転致死傷罪の改正について
1 制御困難な高速度類型(法2条2号)
問題点 直線道路であれば時速300㎞を出して事故しても過失運転致死傷罪とするのが東京高裁・名古屋高裁の判決(ただし、最高裁判断はなし)
改 正 制限速度を一般道なら2倍以上、高速道なら1.5倍以上出して事
故を起こしたら一律に危険運転致死傷罪と改正すべき
2 飲酒運転(法2条1号)
問題点 「正常な運転が困難」の判断が人によって区々
改 正 飲酒検知の数値で一律に危険運転致死傷罪と改正すべき
3 殊更赤無視(法2条7号)
問題点 赤信号を認識しても「殊更」でない限り過失運転致死傷罪
改 正 殊更という要件を削除すべき
2023年11月15日自民党の危険運転致死傷のあり方検討PTには、高橋正人弁護士の意見書も提出いたしました。この意見書について、出席議員の方の関心は極めて高かったです。
また、法務省担当官もこの意見書を参照しながら、どの様な検討が必要かを答弁されていました。
以下、全文掲載を高橋正人弁護士からご了解頂きましたので、ご紹介します。
2023年11月15日
自由民主党
交通安全対策特別委員会
危険運転致死傷のあり方検討PT 御中
波多野暁生代理人
弁 護 士 髙 橋 正 人
意見の要旨
1 制御困難な高速度類型の危険運転致死傷罪(法2条2号)について。
法定の制限速度を、一般道であれば2倍、高速道路であれば1.5倍を超えて走行し死傷事故を起こしたときは、一律に危険運転致死罪が成立するよう、法改正をすべきです。
2 アルコールの影響により正常な運転が困難な類型の危険運転致死傷罪(法2条1号)について。
死傷事故当時の飲酒検知の数値が、政令の定める一定の値を超えていたときは、一律に危険運転致死罪が成立するよう法改正をすべきです。
3 殊更赤無視類型の危険運転致死傷罪(法2条7号)について
条文の文言から「殊更」を外すよう法改正をすべきです。
意見の理由
第1 意見の要旨1について
1 平成13年の法制審議会と高裁の見解について
法2条2号は「その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為」と規定しています。この点、過去の刑事裁判においては、「進行を制御することが困難な高速度」とは、「道路の形状、路面の状況などの道路の状況、車両の構造、性能等の客観的な事実に照らし」「ハンドルやブレーキの操作をわずかなミスによって、自車を進路から逸脱させて事故を発生させることになるような速度」を言うと解した上で、そのうち「道路の状況」について、「歩行者や他の走行車両は含まれない」という判断をしています(東京高裁平成22年12月10日判決、判タ1375号246頁、名古屋高裁令和3年2月12日判決も同旨)。これは平成13年の法制審議会でとられていた見解を高裁が踏襲したものです。
※ ただし、このような判断について、最高裁が見解を示したことはなく、いわゆる「判例」になっているものではありません。
この考え方を、簡単に言えば、
ア ①路面の状況が凸凹していたり道路の形状がアップダウンやカーブであったりしていたために、②速度の出し過ぎにより、③進路を逸脱してしまい、死傷事故を起こしたとき、あるいは、
イ ①車の性能があまりに悪いために、②速度の出しすぎにより、③進路を逸脱してしまい、死傷事故を起こしたとき、
の2つのパターンに限定して、危険運転致死罪を認めるという考え方です。
そのため、「路面が平坦」で、「直線道路」であり、「標準的な性能を持つ車体」で走行している限り、どんなに高速度を出そうとも、例えば、時速200㎞近くを出していても、さらに極端に言えば時速300㎞を出していても、発生した死傷事故に対し、過失運転致死傷罪でしか処罰することができなくなります。
このような見解は、あまりに浮世離れしており、非常識ではないでしょうか。
この見解に従ったため、検察官が危険運転致死罪で起訴しても、認定落ちされ、裁判所で過失運転致死傷罪にされた事案が複数あります。
その一つが、前記の名古屋高裁の判決です。これは、加害車両が時速146㎞で直線道路を走行していたところ、路外からタクシーが加害車両の進路前方に侵入してきたため激突し、タクシーの乗客3名を死亡させた事案です。
津地方検察庁は、一般道である以上、他の車両が路外から進入してくるなど走行車両も十分にあり得るのだから、それを前提に、その「速度」が制御困難な速度であったかどうかを判断すべきとして危険運転致死罪で起訴しました。しかし、津地裁および名古屋高裁は認定落ちし、過失運転致死傷罪としました。理由は前記のとおり、「タクシーが路外から進入してくる」という、「他の通行車両の存在」については考慮しないで、その速度が制御困難かどうかを判断すべきであり(これが平成13年法制審の見解)、その上で、本件事故現場の路面や道路形状には、凹凸やカーブ・アップダウンがなく、直線道路だったからというものでした。
そもそも、制御困難な速度かどうかを判断するときに、他の通行人や通行車両の存在を考慮しないという平成13年の法制審や高裁の見解自体、国民の規範意識から遠く離れていると思います。なぜなら、貸し切りのレース場等で走行するのであればともかく、一般の公道を走行する以上、横断する歩行者や他の通行車両がいるのは当たり前のことで(高速道路でも他の通行車両は当然にいます)、だからこそ、死傷事故が起きるのです。そして、その事故が、国民の規範意識から遠くかけ離れた、かなりの高速度によってもたらされたのであれば、誰でも、「そのスピードなら制御などでできるわけがない。ぶつかって当たり前だ」と思うはずです。
法が、そういった一般国民なら誰でも感じる規範意識に沿うものでなければ、法とそれを適用する司法への国民の信頼は失墜すると思います。
2 他の通行人や通行車両を考慮にいれない背景とその破綻
では、なぜ、平成13年の法制審では、そのような見解をとったのでしょうか。
この点、路面の状況や道路の形状、車の性能は、客観的なものですから容易に立証できますが、他の通行人や通行車両の存在やその通行量・通行状況などは、不確定的な要素が多く、しかも、当時はドライブレコーダーや街角の防犯カメラはほとんどなく、通行人・通行車両について、もっぱら目撃者の曖昧な供述だけに頼らざるを得ず、立証が困難だったという事情があったと思われます。
しかし、現在では、その立法事実は大きく変わってきています。ほどんどの車両にドライブレコーダーが設置され、また、街角にも、至る所に防犯カメラが設置されているからです。通行人・通行車両の有無、その量、状況などについて、極めて正確に立証できるようになってきました。
従って、他の通行人や通行車両の存在も考慮に入れて、制御困難な高速度かどうかを判断しても曖昧な判断になることはありません。それらの事情を一切、考慮に入れないという従前の見解を支える立法事実は、現在では通用しません。
3 では、どういう書きぶりにすべきでしょうか
では、現在の法文はどのように改正すべきでしょうか。一つには、直線道路であっても、他の通行人や通行車両の存在を考慮に入れて、制御困難な高速度かどうかを判断できるような書きぶりに変えることも一つの方法です。
しかし、そのように書きぶりを変えてみても、では、他の通行人や通行車両の存在を考慮に入れたときの制御困難な高速度とは、具体的にはどのくらいの速度なのか、という問題にぶつかります。典型的な事案ではそのようなことはないかもしれませんが、グレーゾーンの事案では、どんなにドライブレコーダーや防犯カメラが発達しても、曖昧な判断になる恐れがあります。
罪刑法定主義が法の命であるなら、もっと明確にすべきです。つまり、「当該道路について定められている制限速度を、これくらい超えたら危険運転致死罪にあたる」というように数値で明確に決め打ちすべきです。
この数値を例えばAとします。ひょっとしたらプロのドライバーならAであっても制御できるかもしれませんし、Aより低い数値であっても、運転稚拙なドライバーなら制御できないかもしれません。しかし、実際にその運転者が制御できるかどうかが問題ではなく、「一般国民の規範意識に照らしたとき、こんな高速度を出して事故を起こしたら、非常に危険だし、悪質だ」とのコンセンサスの得られる数値であれば、良いのです。そうであってこそ、法に対する国民の信頼は高まり、国民は法を守り、事故を軽減することができると思います。
では、具体的にはどの程度の速度をもって危険運転致死罪とすべきでしょうか。
これについては、過去に、「直線道路」における高速度の死傷事故に関し、警察が危険運転致死傷罪で送検したが検察官が過失運転致死傷罪で起訴した事案、検察官が危険運転致死傷罪で起訴したが裁判所が認定落ちして過失運転致死傷罪にした事案、そもそも警察段階で危険運転致死傷罪での送検を見送った事案について類型的に調査して、具体的な速度を決めるのが良いと思います。
具体的には、一般道であれば制限速度の2倍以上が適切ではないでしょうか。このような高速度を出しているにもかかわらず、検察官が過失運転致死傷罪で起訴しようとしたり、裁判所が認定落ちしたりする事案が後を絶たないからです。たとえば、前記の津の名古屋高裁の事故(時速146㎞)、大分で発生した時速194㎞の右直事故(当初、過失運転致死罪で起訴したが、その後、訴因を変更して危険運転致死傷罪で現在、公判前整理手続き中)、宇都宮で発生した時速161㎞の追突事故(当初、過失運転致死罪で起訴したが、その後、訴因変更を検討中)などを考慮すれば、制限速度が60㎞のケースなら、その2倍を超えるときは、国民のコンセンサスが得られると思います。
第2 意見の要旨2について
さて、ここまで、説明すれば、意見の要旨2も自ずと答えが見えてくるのではないでしょうか。
正常な運転が困難かどうかについての判断は、これまた困難を極め、判断権者によって見解が異なることも少なくありません。その判断権者も広く捉えれば、裁判官だけなく検察官も含まれます。検察官が起訴するとの判断をしない限り、裁判官は判断できないからです。
過去にも、福岡市の市職員が泥酔し、約8秒間も脇見をし、あげくの果てに停車していた先行車両に追突して川に車両ごと突き落とし、幼い子供3名が溺死した痛ましい事件(海の中道大橋事件)がありました。
福岡地裁は、衝突するまで、加害者は車線に沿い、信号も守っていたから正常に運転できていたと判断して認定落ちをし、過失運転致死傷罪にしました。しかし、最高裁は、そもそも8秒間も脇見をすること自体、アルコールの影響によるもの以外、考え難く、正常とは言いがたいとして、逆転有罪とした福岡高裁の判断を支持し、危険運転致死傷罪が確定しました。
このように同じ証拠に基づいても、裁判官によって判断が大きく変わってしまったのです。もちろん、それ以外の事案でも、正常な運転かどうか激しく争われた事案が多数あります。
そう考えますと、ここでも明確に一律に解決できる書きぶりにすべきです。つまり、実際にその運転が正常だったかどうかを問題とするのではなく、「一般国民の規範意識に照らしたとき、そんなに酒を飲んで事故を起こしたら、非常に危険だし、悪質だ」とのコンセンサスの得られる飲酒検知の数値をもって、一律に、危険運転致死罪にあたるかどうか判断できるよう法文を改正すべきです。
そして、具体的に、どのくらいの数値が適切かは、過去の裁判例を精査し、危険運転致死罪に該当した事案の飲酒検知の数値と、そうでない数値をしっかりと調査して決めるべきです。その上で、法が政令にその数値を委任して、政令で具体的な数値を書くようにすべきです。
第3 意見の要旨3について
殊更という文言があるため、現行法では単なる赤色表示に対する「故意」では足りず、それを超える主観面がないと危険運転致死傷罪は成立しないことになります。しかし、平成20年の最高裁は少しこれを修正するような判示をしています。「赤信号の確定的な認識がない場合であっても、信号の規制自体に従うつもりがないため、その表示を意に介することなく、たとえ赤信号であったとしてもこれを無視する意思で進行する行為」と判示しています。
そもそも、平成13年に危険運転致死傷罪が成立したのは、重大な危険があり、かつ悪質な運転により発生した死傷事故について、日頃から適切な運転を心がけながらも一瞬の不注意によって起こしてしまう単純な過失犯と同列に扱うことは適切ではなく、危険かつ悪質な事案に対しては故意犯に準じて扱うべきだとされたからです。
この点、殊更に赤色表示を無視しなくても、赤色表示であることを認識しながらあえて交差点に進入した以上、それだけで、重大な危険かつ悪質ではないでしょうか。「ことさら」という文言を削除する方向で法改正がなされるべきです。
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